エルメス・シャネル・ディオール・カルティエの「専属調香師」たち|メゾンの鼻の系譜と代表作
香水のボトルにはブランドの名前が書かれていますが、中身をつくったのは、たいていブランドの外の人です。世界の調香師の多くは、ジボダンやフィルメニッヒのような香料会社に勤めていて、依頼を受けて香りを組み立てます。ところが一握りの高級メゾンは、自分のためだけに働く「専属調香師(インハウス・パフューマー。社内に抱える調香師という意味)」を置いています。エルメス、シャネル、ディオール、カルティエ、ルイ・ヴィトン、そしてゲラン。誰がいつ、どの香りを任されてきたのかを、メゾンごとにたどります。
2026.10.27 · 10分で読めます

専属調香師はなぜ珍しいのか
Wikipedia 英語版の「Perfumer(調香師)」の項目は、調香師の多くはマン、ロベルテ、フィルメニッヒ、IFF、ジボダン、高砂、シムライズといった大きな香料会社に雇われていると書いています。そのうえで「香水の家だけのために働く人や、自分の会社で働く人もいるが、多くはない」と添えています。香料会社の仕組みや調香師の働き方は、調香師はお金持ち?花畑はどこにある?で詳しく紹介しています。
香料会社に頼めば、得意分野の違う大勢の調香師から選べます。それでも専属を抱えるメゾンがあるのは、なぜでしょう。資料からはっきり言えるのは、専属調香師が新作をつくるだけでなく、昔からある香りの面倒も見ているということです。シャネルのオリヴィエ・ポルジュは、2024年の LUXUO のインタビューで「いまは昔と同じつくり方はしていない。N°5 は個性が強いから、その構造で実験ができる」と話しています。
ここからは推測です。何十年も売られる名香を守るには、処方(香料の配合表)と原料を長く見続ける人が要ります。ブランドの外の調香師が作品ごとに変わると、香りの「らしさ」が揃いにくくなります。高価な香りで家の個性を売るメゾンほど、専属を置く理由が大きいのだと考えられます。
もうひとつ気づくのは、ディオール、ルイ・ヴィトン、ゲランはいずれも LVMH グループのメゾンだということです。ゲランは1994年に LVMH の傘下に入り、2008年に一族以外で初めての専属調香師を迎えました(経緯はゲラン家の調香師はなぜ途切れたのか)。この記事では、メゾンごとに専属調香師の顔ぶれを見ていきます。
エルメス:水彩画のエレナから、香りの画家ナジェルへ
ジャン=クロード・エレナ(2004〜2016年)
ジャン=クロード・エレナは1947年、グラースの調香師の家に生まれました。Wikipedia 英語版によると、2004年から2016年まで、ジャン=ルイ・デュマとヴェロニク・ゴーティエに任命されてエルメスの専属調香師を務めました。香料会社やほかのブランドで長く経験を積んでからの就任です。少ない香料で一つの風景を浮かび上がらせる作風は、よく「水彩画」にたとえられます。
エレナがエルメスでつくった香り
クリスティーヌ・ナジェル(2014年〜)
後を継いだのは、ジュネーブ生まれのクリスティーヌ・ナジェルです。化学の研究者として香料の分析から入り、香料会社でナルシソ ロドリゲスのフォー ハー(2003年、フランシス・クルジャンと共作)や、ジョー マローン ロンドンのウッド セージ&シーソルト(2014年)を手がけました。Wikipedia 英語版によると、2014年にエレナと並ぶ専属調香師としてエルメスに入り、2016年から一人で香りの創作を率いています。
ナジェルがエルメスでつくった香り
シャネル:4人だけで100年をつないだ家
シャネルの専属調香師は、1921年の N°5 から数えて、いまのオリヴィエ・ポルジュで4人目です。一人の在任がとても長いのが特徴です。
シャネルの専属調香師
1921年
エルネスト・ボーが N°5 をつくる
1924年
ボーが レ パルファム シャネルの調香師になる
1950年代はじめ
アンリ・ロベールがボーの後を継ぐ
1978年
ジャック・ポルジュがアンリ・ロベールの後を継ぐ
2013年
息子のオリヴィエ・ポルジュがシャネルに入る
2015年
ジャックが引退し、オリヴィエが専属調香師を継ぐ
エルネスト・ボー(N°5 の人)
ボーはその後も、1924年のキュイール ドゥ ルシー、1926年のボワ デ ジルと N°22 をつくりました。キュイール ドゥ ルシーは、シャネルとロシアのドミトリー大公の出会いから生まれたと公式に説明されています。
アンリ・ロベール(1952〜1978年)
ジャック・ポルジュ(1978〜2015年)
ジャック・ポルジュは37年にわたってシャネルの香りを担いました。ココ(1984年)、エゴイスト(1990年)、アリュール(1996年)、ココ マドモアゼル(2001年)、チャンス(2002年)、ブルー ドゥ シャネル(2010年。オードゥ パルファムは2014年)と、いまのシャネルの定番の多くが彼の作品です。本人がいちばん気に入っているのはエゴイストだといいます。
オリヴィエ・ポルジュ(2015年〜)
息子のオリヴィエ・ポルジュは1974年生まれです。1998年から香料会社 IFF で働き、ディオール オム(2005年)や、アンヌ・フリポ、ドミニク・ロピオンと共作したランコムのラ ヴィ エ ベル(2012年)を手がけました。2013年にシャネルへ移り、2015年に父の後を継いでいます。シャネルではガブリエル シャネルや、レ ゼクスクルジフの1957、ル リオン ドゥ シャネルをつくりました。父子の継承は、調香師の一族と ISIPCA の話でも取り上げています。
ディオール:ドゥマシーのソヴァージュから、クルジャンへ
フランソワ・ドゥマシー(2006年〜)
フランソワ・ドゥマシーは、香料会社シャラボの調香学校で学んだあと、シャネルで研究開発の責任者を務めた人です。Wikipedia 英語版によると、2006年にディオールの主任調香師(メインの「鼻」)と、LVMH の香水・化粧品部門の開発責任者に任命されました。
ドゥマシーの代表作が、2015年のソヴァージュです。ベルガモットとペッパーではじまり、アンバー系のウッディな余韻へ続く、すっきりした香りです。のちにオードゥ パルファムも出ています。
フランシス・クルジャン(2021年〜)
2021年10月、ディオールはフランシス・クルジャンを香水のクリエイティブ・ディレクターに迎えました。クルジャンは1969年生まれ。26歳でつくったジャン ポール ゴルチエのル マル(1995年)が、世界でいちばん売れる香水のひとつになりました。2009年には自分のブランドメゾン フランシス クルジャンを共同で立ち上げ、2015年に一般発売したバカラ ルージュ 540は大ヒットになります。このブランドは2017年に LVMH が買い取りました。
ディオールでは、ソヴァージュ オー フォルトやソヴァージュ エクストレ ドゥ パルファンのように、前任者の代表作を受け継いだ作品があります。ディオール パラダイスは、クリスチャン・ディオールが夢見た庭園を体現するラ コル ノワール城がテーマだと公式に説明されています。
カルティエ、ルイ・ヴィトン、ゲランの「鼻」
カルティエ:マチルド・ローラン(2005年〜)
代表的なシリーズが、レ ズール ドゥ パルファムです。2015年のXI ルール ペルデュは、天然香料を使わず、研究所で合成した分子だけでつくった香りです。ある評論家は、その仕上がりを「硬くて攻撃的」ではなく「やわらかく、包みこむようで、母のよう」と評しました。2016年には、ウードを主役にしたレ ズール ヴォワイヤジューズのシリーズも出しています。ラ パンテールは、ガーデニアとキンモクセイを合わせた香りです。なお、カルティエのデクララシオン(1998年)は、ローラン以前にエレナがつくった作品です。
ルイ・ヴィトン:ジャック・キャヴァリエ=ベルトリュード(2012年〜)
ジャック・キャヴァリエ=ベルトリュードは1962年、グラースの調香師の家に生まれました。1990年にフィルメニッヒに入り、1991年にイッセイ ミヤケのロードゥ イッセイを共同でつくります。1990年代には、海や水を思わせる合成香料カロンを積極的に使った調香師として知られました。
2012年、彼はフィルメニッヒを離れ、ルイ・ヴィトンの専属調香師になりました。FashionUnited によると、ルイ・ヴィトンは2016年9月、70年ぶりとなる香水のコレクション「レ パルファム ルイ・ヴィトン」を7種類で発売しています。当サイトにはルイ・ヴィトンの香水はまだ収録していませんが、彼がフィルメニッヒ時代につくった香りは調香師ページで見られます。
ゲラン:ティエリー・ワッサー(2008年〜)
ティエリー・ワッサーは1961年、スイスのローザンヌに生まれました。フランス語版 Wikipedia によると、1981年にジボダンに入り、1993年からはニューヨークのフィルメニッヒで働きました。2008年5月からゲランの香りの創作を率いています。一族以外で初めてのゲラン専属調香師です。モン ゲランやロム イデアル インテンスは、デルフィーヌ・ジェルクとの共作です。ゲランの代々の調香師と作品は、ゲラン家の調香師たちと、その作品の系譜にまとめています。
専属調香師の香りを選ぶには
専属調香師の作品は、そのメゾンの香水売り場で何本も続けて嗅げます。一人の調香師の作風をまとめてたどれるのは、メゾンの香水ならではの楽しみです。エレナの透明な香りならナイルの庭から、ナジェルの色彩ならツイリー ドゥ エルメスから試してみてください。
香料会社の側にいるスター調香師たちは、現代のスター調香師10人と代表作で紹介しています。20世紀の名調香師は伝説の調香師たちへ。
まとめ
- 調香師の多くは香料会社の社員で、メゾン専属の調香師は少数派
- エルメスはエレナ(2004〜2016年)からナジェルへ。ナジェルは2014年入社、2016年から一人で率いる
- シャネルはボー、ロベール、ジャック・ポルジュ、オリヴィエ・ポルジュの4人で約100年をつないだ
- ディオールはドゥマシー(2006年〜、ソヴァージュ)から、2021年にクルジャンへ
- カルティエのマチルド・ローラン(2005年〜)、ルイ・ヴィトンのキャヴァリエ=ベルトリュード(2012年〜)、ゲランのワッサー(2008年〜)
- 専属を置く理由は資料では断定できない。名香の維持と家の個性を守るためと考えられる(推測)
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この記事に出てくるノート
出典(16)
- Wikipedia(英語版)「Perfumer」
- Wikipedia(英語版)「Jean-Claude Ellena」
- Wikipedia(英語版)「Christine Nagel」
- Hermès「Christine Nagel, Painter of scents(プレス資料)」
- Wikipedia(英語版)「Ernest Beaux」
- Wikipedia(英語版)「Henri Robert」
- Wikipedia(英語版)「Jacques Polge」
- Wikipedia(英語版)「Olivier Polge」
- LUXUO「Chanel In-House Perfumer Olivier Polge Shapes Chanel's Olfactory Universe(2024年12月)」
- Wikipedia(英語版)「François Demachy」
- Wikipedia(英語版)「Francis Kurkdjian」
- Wikipedia(英語版)「Mathilde Laurent」
- Wikipedia(英語版)「Jacques Cavallier」
- FashionUnited「Louis Vuitton launches first perfume range in 70 years(2016年8月)」
- Wikipedia(フランス語版)「Thierry Wasser」
- Wikipedia(英語版)「Guerlain」






































