ゲラン家の調香師はなぜ途切れたのか?売却と後継者の空白
ゲランは、1828年の創業から一族が調香を受け継いできた香水の家です。ところが2008年、一族ではない調香師が、初めてゲランの専属調香師になりました。なぜ一族の調香師は途切れたのでしょう。「売却されたから」と一言で片づけられがちですが、資料を読むと事情はもう少し入り組んでいます。資料で確かめられることと、一般に言われている理由を分けて見ていきます。
2026.10.24 · 8分で読めます

一族で「鼻」を受け継ぐ伝統
ゲランは1828年に、ピエール=フランソワ=パスカル・ゲランがパリで始めました。1864年に創業者が亡くなると、息子のエメが調香を、ガブリエルが経営を受け持ちます。Wikipedia 英語版は、ここから「調香師の座を一族で受け継ぐ長い伝統」が始まったと書いています。調香はエメから甥のジャックへ、ジャックから孫のジャン=ポールへと渡りました(一族の歩みは調香師の一族と ISIPCA の話でも紹介しています)。
最後の一族の調香師になるジャン=ポール・ゲランは1937年生まれです。祖父ジャックのそばで調香を学び、1955年にゲランに入りました。ジャックの最後の作品「オード」(1955年)は、当時18歳のジャン=ポールが手伝ってつくったものです。フランス語版 Wikipedia によると、経営を継ぐのが自然だったのは兄のパトリックでしたが、祖父ジャックは、ある香りの代わりをつくる課題をこなしたジャン=ポールを後継に選んだと伝えられています。
何が起きたのか:1987年から2008年まで
まず、資料で確かめられる出来事を順に並べます。
ゲランが一族の手を離れるまで
1987年
ルイ・ヴィトンがゲランの株の14.2%を取得
1994年
LVMH がゲランの過半数を取得。一族は対価としてクリスチャン・ディオール社の株を受け取る
1999年
ジャン=ポールの引退が話題になるが、LVMH のベルナール・アルノーが引き留める
2002年
ジャン=ポール・ゲランが引退。その後も助言役として残る
2008年5月
ティエリー・ワッサーが、一族以外で初めての専属調香師に
2010年
テレビでの人種差別的な発言を受け、LVMH がジャン=ポールとの協力関係を終える
1994年4月の取引を伝えたアメリカの業界紙 WWD によると、一族は、ゲランの株の86.8%を持つ一族の持株会社ジェディの株の49.9%を、約3億4,350万ドル分のクリスチャン・ディオール社の株と交換しました。ゲラン全体の評価額は約7億7,000万ドルで、1993年の売上の2倍を超える値でした。
同じ記事で、一族の持株会社の代表は「私たちには自分たちの鼻(調香師)もいる。一族の一員だ」と語っています。売却で、すぐに一族の調香師がいなくなったわけではありません。
変わったのは、香りの選ばれ方でした。Wikipedia 英語版によると、1994年以降、ゲランは外部の調香師にも香りを頼むようになり、ジャン=ポールも他の調香師の案と競う立場になりました。たとえばアクア アレゴリア パンプルリューヌ(1999年)は、ジャン=ポールの見習いから育ったマティルド・ローラン、ランスタン ドゥ ゲラン(2004年)やアンソレンス(2006年)は、香料会社シムライズのモーリス・ルーセルの作品とされています。
資料で言えること:売却は「家族の決定」、後継は家族から出なかった
売却は経営難のせいではなかった
WWD は、ゲランの純利益率はおおむね10%で、借金もほとんどなかったと書いています。一族の持株会社の代表で、創業者のひ孫にあたるジャン=ピエール・ゲランは、売却は「家族の決定」で、「一人ひとりの動機は説明できないが、売りたいと考えた人がいたのは明らか」と述べました。資金が足りずに売ったという噂は「まったく事実ではない」と否定しています。
息子は別の道を選んだ
ジャン=ポールの後を一族の誰かが継がなかった理由について、はっきり書かれているのは次の点です。デザイン誌 Wallpaper* は、ジャン=ポールとワッサーの対談の冒頭で「ジャン=ポール・ゲランの息子が法律を仕事に選んだため」、2002年の引退で創作のトップに一族が誰もいなくなった、と書いています。フランス語版 Wikipedia でも、息子のステファンは弁護士とされています。
6年の空白と、外に探す方針
同じ記事によると、ジャン=ポールは引退後も助言を続けましたが、2008年にワッサーが来るまで専属の調香師は置かれませんでした。ジャン=ポールは対談で、当時は「マーケティングの人たちが、社内でできることを外に探しに行くほうがいいと考えていた時期だった」と振り返り、ワッサーは「短い間のことだった」と応じています。
後任の選び方も、もう一族の手の中にはありませんでした。ジャン=ポールによると、ゲランの社長ローラン・ボワイヨが、ワッサーについて彼の意見を聞いたといいます。ワッサーはジボダンの調香学校で学び、香料会社フィルメニッヒで働いていたスイス出身の調香師で、ジャン=ポールも若いころにフィルメニッヒで経験を積んでいました。
ジャン=ポールはワッサーを「私の養子だ」と呼び、ワッサーは「一族の5世代を裏切るつもりはない」と語っています。ワッサーの代表作にはイディール(2009年)や、デルフィーヌ・ジェルクとの共作のラ プティット ローブ ノワール(2009年)があります。
一般に指摘される理由:資料は断定していない
ここからは、当時の関係者やアナリストが挙げた見方と、よく言われる背景です。どれも「これが理由だ」と資料が言い切っているわけではありません。
一族が大きくなり、まとまりにくかった
WWD の記事で、パリの証券会社のアナリストは「一族はあまりまとまっているように見えなかった。持株会社をつくったのがその証拠だ。最初の14%をルイ・ヴィトンに売ったのも、一族の一人だった」と語っています。一方、一族の代表は「分裂はない」と述べており、見方は分かれます。
大きな資本なしでは、新作のたびにリスクが増す
同じアナリストは「新作を出すたびに、リスクはどんどん大きくなっていた」と述べ、別の香水会社の経営者も「いまの業界で成功するには強い組織が要る」と話しています。ほかの有名ブランドが大きなグループの傘下に入っていく流れの中で、独立を保つのは難しかったという見方です。
一族の女性は、後継の候補にならなかった
ゲラン家には、調香師になった女性もいます。ジャン=ポールの姪にあたるパトリシア・ドゥ・ニコライです。大学で化学を学び、ISIPCA(ゲラン家のジャン=ジャック・ゲランが1970年に設立した調香の学校)で学んだ人です。
一族の中に調香師がいたのに、ゲランの調香を継ぐ道は開かれなかった。これが2002年の空白にどこまで関わったのかは、資料からは言えません。ただ、「一族に後継の候補がいなかった」という説明だけでは足りないことは、彼女の証言からわかります。
調香師の育ち方が変わった
20世紀の後半には、調香師は一族の徒弟制度ではなく、学校や香料会社の研修で育つようになりました(調香師の一族と ISIPCA の話)。皮肉なことに、その道を開いた ISIPCA はゲラン家の人がつくった学校で、ワッサーも香料会社の学校の出身です。こうした変化が、一族の外から調香師を迎えることを自然にしたとも考えられます(推測)。
一族の香りづくりは、本当に途切れたのか
途切れたのは、「ゲラン社の専属調香師を一族が継ぐ」という形です。一族の香りづくりそのものが絶えたわけではありません。
経済誌 Forbes の2025年の記事によると、ジャン=ポールの孫ポール・ゲランは、ゲラン社とは関係なく、香料会社 IFF の調香師として、クリスチャン ルブタンやヴァレンティノなどの香りをつくっています。パトリシア・ドゥ・ニコライのブランドには、息子のアクセルも加わりました。
ゲランの文化・遺産部門のディレクターは同じ記事で、「マスター・パフューマーの役割はもう一族と直接結びついていないが、一族の何人かは香水の世界で活動を続けている」と語っています。ゲランという家の外で、一族の鼻は今も働いています。
まとめ
- ゲランでは1828年から一族が調香を受け継ぎ、最後の一族の調香師ジャン=ポール・ゲランが2002年に引退した
- 1994年の LVMH への売却は、経営難ではなく「家族の決定」とされる。売却後は外部の調香師も起用された
- 息子は法律の道を選び、2002年から2008年まで専属調香師は置かれなかった。後任のワッサーは社長がジャン=ポールの意見を聞いて選んだ
- 一族がまとまらなかった、大資本が必要だった、一族の女性が候補にならなかった、といった理由も挙げられるが、資料は断定していない
- ジャン=ポールの孫ポール・ゲランやパトリシア・ドゥ・ニコライなど、一族の調香師はゲランの外で活動を続けている
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出典(11)
- Wikipedia(英語版)「Guerlain」
- Wikipedia(英語版)「Jacques Guerlain」
- Wikipedia(フランス語版)「Jean-Paul Guerlain」
- WWD「High Marks to Arnault on Guerlain Purchase(1994年5月6日)」
- Wallpaper*「Jean-Paul Guerlain and Thierry Wasser(ワッサー就任の年の対談)」
- Wikipedia(フランス語版)「Thierry Wasser」
- Wikipedia(英語版)「Mathilde Laurent」
- Wikipedia(英語版)「Patricia de Nicolaï」
- CaFleureBon「Exclusive Interview with Mme Patricia de Nicolaï(2014年1月)」
- Forbes「How Guerlain Evolved From Family Dynasty To Global Perfume Powerhouse(2025年6月)」
- Wikipedia(英語版)「ISIPCA」











