ゲラン家の調香師たちと、その作品の系譜|ジッキーからサムサラまで
ゲランの香水には、一つひとつに「誰が、何のために」つくったかという物語があります。皇后への献上品、甥の愛称とも恋人の名ともいわれる香り、小説の女主人公、乗馬のあとの残り香。ゲラン家の調香師たちを一人ずつ取り上げ、その人柄と、代表作が生まれた理由を年代順にたどります。調べてわかったことと、説が分かれることは分けて書きます。
2026.10.27 · 16分で読めます

5代の系図と、この記事の読み方
ゲランの調香は、創業者から玄孫まで、おおよそ次のように受け継がれました。ジャン=ジャックは調香師ではなく経営の人ですが、親子のつながりを示すために入れています。
ゲラン家の調香師(と経営者)
1828年〜
ピエール=フランソワ=パスカル・ゲラン(創業者)
1864年〜
エメ・ゲラン(創業者の息子。弟ガブリエルが経営)
1899年〜
ジャック・ゲラン(ガブリエルの息子で、エメの甥)
20世紀半ば
ジャン=ジャック・ゲラン(ジャックの息子。経営を担う)
1955年〜2002年
ジャン=ポール・ゲラン(ジャン=ジャックの息子で、ジャックの孫)
一族が調香を受け継いだ仕組みや、ISIPCA など調香師の学校の話は調香師の一族と ISIPCA の話で、一族の調香がなぜ2002年で途切れたのかはゲラン家の調香師はなぜ途切れたのかで書いています。この記事では、人と作品に絞ります。
ピエール=フランソワ=パスカル・ゲラン:皇后のコロンをつくった創業者
食料品店の息子が、パリで香水店を開く
創業者のピエール=フランソワ=パスカル・ゲラン(1798〜1864年)は、北フランスの町アブヴィルで生まれました。フランスの公共放送 France 3 によると、家は食料品店で、父はのちに香辛料を扱う商人になりました。フランス語版 Wikipedia は、彼がイギリスで医学と化学を学んでからパリに戻り、1828年に香水と香り酢の店を開いたと書いています。店はパリのリヴォリ通りにありましたが、正確な番地は資料によって異なります。
化学を学んだ人らしく、彼は香りを売るだけでなく自分でつくりました。そして1864年に亡くなるまでに、ゲランを王侯貴族が通う店に育てました。
1853年 オーデコロン アンペリアル:皇帝夫妻の結婚に捧げた香り
代表作がオーデコロン アンペリアルです。アメリカの雑誌 W Magazine によると、ナポレオン3世とウジェニー皇后の結婚に際してつくられ、ゲランは皇后の御用達になりました。香りはベルガモット、レモン、ネロリ(ビターオレンジの花の精油)など、柑橘と花の軽い香りです。オーデコロンは、当時は体にたっぷりふりかけて使う、さっぱりした香水でした。
ボトルには、フランス帝政の象徴である蜂が69匹、金で描かれています。円筒形の瓶は、パリのヴァンドーム広場に立つ円柱をもとにした形です。この「蜂のボトル」は今もゲランの象徴で、イギリスのヴィクトリア女王やスペインのイサベル2世も、この店の客だったと伝えられています。
エメ・ゲラン:合成香料で近代香水の扉を開けた二代目
兄が香り、弟が経営
創業者が亡くなると、息子のエメ(1834〜1910年)が香りづくりを、弟のガブリエルが経営を受け持ちました。この兄弟の分担は、のちの「調香は一族の一人が担い、ほかの人が会社を回す」というゲランのやり方の原型ともいえます。エメには子どもがいなかったため、ガブリエルの息子ジャックを手元で育て、後継者にしました。
1889年 ジッキー:天然の香りに、化学でつくった香りを混ぜる
名前の由来は二つの説がある
「ジッキー」という名前には、二つの説があります。一つは、甥のジャックの愛称だったという説。もう一つは、エメがイギリスで学んでいたころに恋した女性の呼び名だったという説です。どちらも確かな記録はなく、香水ブログ Perfume Shrine は恋人説を「後からつくられた話」と見ています。
ジャック・ゲラン:無口な天才がつくった名作の数々
インタビューを一度も受けなかった調香師
ジャック・ゲラン(1874〜1963年)は、ゲランの名作の多くを生んだ三代目の調香師です。一族の習わしどおりイギリスで教育を受けたあとパリで学び、大学の有機化学の研究室で研修しました。1894年に家業に入り、1899年には主任の調香師になっています。
Wikipedia によると、ジャックはひどく無口で人づきあいを好まず、一度もインタビューを受けなかったといいます。元ゲランのクリエイション・ディレクター、シルヴェーヌ・ドラクルトは、彼の言葉として「調香とは、忍耐と時間の問題だ」を紹介しています。第一次世界大戦では頭にけがをして、視力の一部を失いました。モネなど印象派の絵画を集めた収集家でもありました。
1904年 ムシュワール ドゥ ムッシュー:紳士のハンカチのために
初期の作品が「ムシュワール ドゥ ムッシュー(紳士のハンカチ)」です。当時の男性は、ハンカチに香りをつけて持ち歩きました。そのための香りで、ラベンダーとシベットを効かせた、叔父エメのジッキーに近い香りです。
1906年 アプレ ロンデ:にわか雨のあとの庭
1912年 ルール ブルー:夕暮れの青い時間
1919年 ミツコ:日本人女性を主人公にした小説から
ミツコの名前は、フランスの作家クロード・ファレールが1909年に書いた小説『ラ・バタイユ(戦い)』の女主人公からとったとされます。日本海軍の提督の妻ミツコが登場する、日露戦争の時代を舞台にした小説で、当時のパリで流行した日本趣味を映した名前ともいえます。ただし Wikipedia 英語版は、名前の由来に決定的な資料はないとして、ほかの説にも触れています。
1920年 オー ドゥ フルール ドゥ セドラ:柑橘のコロン
オー ドゥ フルール ドゥ セドラは、レモンやベルガモット、ライムの爽やかなコロンです。創業者のアンペリアルから続く、ゲランのコロンの系譜にある作品で、Bois de Jasmin は、のちのシャリマーの柑橘の明るさに通じる香りと書いています。
1925年 シャリマー:皇帝の庭の名を持つ香り
シャリマーは、ジャックの、そしてゲランの代表作です。Wikipedia 英語版によると1921年ごろに生まれ、1925年のパリ万博(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)で広く世に出ました。親会社 LVMH は「1925年の創作」と紹介しています。
名前は、ムガル帝国の皇帝が造った「シャリマール庭園」からとっています。ゲランは、皇帝シャー・ジャハーンと、亡き妃ムムターズ・マハル(タージ・マハルに眠る人)の愛の物語に着想した香りとして語ってきました。ただし、よく知られるラホールのシャリマール庭園は1641〜42年の造営で、1631年に亡くなった妃のために造られたという説明は年代が合いません。物語は、あくまで香りのイメージと受けとるのがよさそうです。
香りは、ベルガモットの明るい始まりから、アイリスやジャスミンを経て、バニラとトンカビーンのたっぷりした甘さに落ち着きます。こうした甘く温かい香りの型は「オリエンタル」(いまは「アンバー」とも呼ぶ)と呼ばれ、シャリマーはその元祖の一つです。誕生には、ジャックがジッキーにバニリンの仲間の合成香料(エチルバニリン)を加えてみたところから生まれた、という有名な逸話があります。フランス語版 Wikipedia はこれを「広まった噂」としており、真偽ははっきりしません。
1929年 リュウ:オペラの娘の名
リュウは、プッチーニのオペラ『トゥーランドット』に登場する、奴隷の娘リューから名をとった香りです。アルデヒド(石けんのような、きらめく印象を出す合成香料)を効かせた、華やかなフローラルです。
1933年 ヴォル ドゥ ニュイ:友人サン=テグジュペリの『夜間飛行』
ヴォル ドゥ ニュイは「夜間飛行」という意味です。フランス語版 Wikipedia によると、ジャックの友人だった作家サン=テグジュペリが1931年に発表した小説『夜間飛行』にちなんでいます。ガルバナム(青くさい緑の香りの樹脂)を多く使った、ほろ苦く緑がかった香りで、Perfume Shrine は、ボトルはプロペラを思わせる意匠だと書いています。
1955年 オード:最後の作品は孫と一緒に
ジャックが最後に手がけたのは、1955年の「オード(頌歌)」です。自分の庭への賛歌とされる、バラとジャスミンの香りでした。このとき調香を手伝ったのが、18歳の孫ジャン=ポールです。
ジャン=ジャック・ゲラン:香りを守る仕組みをつくった経営者
ジャックの息子ジャン=ジャック(1906年生まれ)は、調香師ではなく、会社の経営を担った人です。父ジャックと息子ジャン=ポールという二人の調香師の間に立ち、家の外に向けた仕事を多く残しました。
一つは、1954年に彼の発案で生まれたコルベール委員会です。フランスの高級ブランドが集まり、職人の技と品質を守るための団体です。もう一つは、1970年に彼の呼びかけで生まれた調香の学校 ISIPCA(ISIPCA 公式サイトより)です。一族の中で受け継いできた調香の技を、学校で学べる道を開いたことになります。この学校の話は調香師の一族と ISIPCA の話で詳しく紹介しています。
ジャン=ポール・ゲラン:「愛した女性のために」香りをつくった最後の一族の調香師
視力の病から始まった調香師の道
ジャン=ポール・ゲラン(1937年生まれ)は、ジャン=ジャックの息子で、ジャックの孫です。フランス語版 Wikipedia によると、少年時代は文学の先生を目指していましたが、目の病気で学業を続けられなくなり、調香の道に進みました。アメリカの香水ブログ Now Smell This は、祖父ジャックが彼を工場に連れて行き、嗅覚の訓練を始めたと書いています(視力はのちに手術で回復しました)。祖父に選ばれて後継者になった経緯は、ゲラン家の調香師はなぜ途切れたのかで紹介しています。
彼の人柄を表すのが、「女性のための香水は、どれも自分が愛した女性のためにつくった」という言葉です(Bois de Jasmin)。乗馬も得意で、馬場馬術の選手として1974年の世界選手権に出場しました。この二つ、女性と馬は、彼の作品に何度も顔を出します。
1959年 ベチバー:最初の単独作
1962年 シャン ダローム:祖父と孫の境目の作品
シャン ダローム(香りの歌)は、作者が資料で分かれる作品です。フランス語版 Wikipedia はジャックの作品に挙げ、英語版はジャックが孫と一緒に手がけた仕事とし、Perfume Shrine はジャン=ポールの作とします。Perfume Shrine は、のちに妻となる女性のためにつくったと書いています。ピーチやスイカズラの、やわらかく可憐な香りです。
1965年 アビ ルージュ:乗馬のあとの残り香
1969年 シャマード:サガンの小説『熱い恋』
1974年 オー ドゥ ゲラン:一族のコロンを受け継ぐ
オー ドゥ ゲランは、男女を問わず使える柑橘の香りです。Wikipedia 英語版は、ゲランの古いコロンの数々が着想のもとだと書いています。創業者のアンペリアルから続くコロンの系譜を、ジャン=ポールが引き継いだ作品です(発売は1973年とする資料もあります)。
1975年 パリュール、1979年 ナエマ:物語と女優
1975年の「パリュール」は、宝石をそろいでつけるアクセサリーのセットを意味する名前の、プラムとローズ、苔の香りのシプレです。
1979年のナエマは、ローズを主役にした華やかな香りです。Perfume Shrine によると、『千夜一夜物語』でシェヘラザードが語る双子の姉妹、情熱的なナエマとおとなしいマハネの話がもとになっています。Bois de Jasmin によると、ジャン=ポールは映画で見た女優カトリーヌ・ドヌーヴに魅了されたことも語っています。評価は高いものの、当時は売れ行きが伸びなかったといわれます。
1983年 ジャルダン ドゥ バガテール:賭けで建てた館の庭
ジャルダン ドゥ バガテールは、パリのブローニュの森にあるバガテル公園の名を持つ香りです。この館は、のちのフランス王シャルル10世(アルトワ伯)が、義姉マリー・アントワネットとの賭けで、わずか2か月ほどで建てたことで知られます。チュベローズなどの白い花をたっぷり使った、明るく華やかなフローラルです。
1989年 サムサラ:恋した女性の好きな香り
Now Smell This は、香水史家マイケル・エドワーズの本をもとに、サムサラが外部の調香師との競作になり、2年近く、300回ほどの試作を重ねて採用されたと書いています。サンダルウッドをふんだんに使ったことでも知られます。一緒に手がけた協力者の名前は、資料によって異なります。
1992年 エリタージュ、そして売却後の時代
1992年のエリタージュは「遺産」という意味の男性向けの香りで、ラベンダーとベルガモットからアンバーの温かさへ移ります。名前のとおり、ゲランの男性の香りの伝統をまとめたような作品です。
受け継がれたもの、変わったもの
ゲルリナード:一族に共通する香りの土台
ゲランの古典的な香水には、共通の香りの土台があるといわれ、「ゲルリナード」と呼ばれます。ベルガモット、ジャスミン、ローズ、アイリス、トンカビーン、バニラなどを組み合わせた、やわらかく甘い香りのまとまり(アコード)で、正確な調香は明かされていません。誰が始めたものかについても、エメとする資料や、決着しないとする資料があり、はっきりしません。
ただ、作品を年代順に並べると、甘い香りの流れははっきり見えます。エメがジッキーで使ったクマリンとバニリン、ジャックがその甘さを大きく育てたシャリマー、ジャン=ポールがそれを男性の香りに持ち込んだアビ ルージュ。合成香料という新しい素材を恐れず取り入れながら、同じ甘さの系譜を100年近くつないできたのがゲラン家でした。
「誰かのため」から「物語のため」へ
香りをつくる理由も、世代ごとに少しずつ変わりました。創業者は皇后という顧客のために、ジャックは雨のあとの庭や夕暮れの空、小説やオペラの登場人物といった情景や物語から、ジャン=ポールは愛した女性や乗馬という自分の暮らしから香りを生みました。宮廷の御用達から、芸術としての香水へ、そして作り手の人生を映す香水へ。ゲランの作品の並びは、香水そのものの歴史の縮図でもあります(近代香水の歴史)。
一族の外へ渡ったバトン
2008年、スイス出身のティエリー・ワッサーが、一族以外で初めてのゲラン専属調香師になりました。イギリスの週刊誌 The Week のインタビューで、ワッサーは「ジャン=ポール・ゲランに選ばれ、2年間ノウハウを教わった。その教えを通して、ジャック、エメ、ピエール=フランソワ=パスカルを知った」と語っています。初めてつけた香水は、13歳のときのアビ ルージュだったそうです。一族の調香が途切れた経緯はゲラン家の調香師はなぜ途切れたのかで詳しく書いています。
まとめ
- 創業者ピエール=フランソワ=パスカルは、1853年に皇帝夫妻の結婚に捧げたオーデコロン アンペリアルで、ゲランを皇后の御用達にした
- エメは1889年のジッキーで、クマリンやバニリンなどの合成香料を取り入れ、近代香水の扉を開けた
- ジャックは雨の庭、夕暮れの空、小説やオペラ、友人の小説から、ルール ブルー、ミツコ、シャリマー、ヴォル ドゥ ニュイなどの名作を生んだ
- ジャン=ジャックは経営者として、コルベール委員会と調香の学校 ISIPCA の設立を呼びかけた
- ジャン=ポールは「愛した女性のために」香りをつくり、乗馬から生まれたアビ ルージュや、恋した女性のためのサムサラを残した
この記事に出てくる
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出典(30)
- Wikipedia(英語版)「Guerlain」
- Wikipedia(フランス語版)「Guerlain」
- France 3 Hauts-de-France「Pierre Guerlain, le fils d'épicier devenu parfumeur de l'Impératrice」
- W Magazine「The Backstory of Guerlain's Eau de Cologne Impériale Bee Bottle」
- Wikipedia(英語版)「Jicky」
- Now Smell This「Guerlain Jicky fragrance review」
- Wikipedia(英語版)「Jacques Guerlain」
- Wikipedia(フランス語版)「Jacques Guerlain」
- Sylvaine Delacourte「Jacques Guerlain: Biography of a perfumery genius」
- Sylvaine Delacourte「L'Heure Bleue」
- Wikipedia(英語版)「Mitsouko (perfume)」
- Wikipedia(英語版)「Shalimar (perfume)」
- Wikipedia(英語版)「Shalimar Gardens, Lahore」
- LVMH「Shalimar celebrates 100th anniversary」
- Perfume Shrine「Guerlain Vol de Nuit: review and history」
- Revue Dynastie「Les Guerlain, une dynastie de parfumeurs français」
- Wikipedia(フランス語版)「Comité Colbert」
- ISIPCA 公式「Histoire & Valeurs」
- Wikipedia(フランス語版)「Jean-Paul Guerlain」
- Now Smell This「Jean-Paul Guerlain(調香師の作品一覧)」
- Bois de Jasmin「Jean-Paul Guerlain on Classical Fragrances(2005年)」
- Wikipedia(フランス語版)「Habit rouge」
- Fragrance Foundation France「Histoire d'un parfum mythique : Habit Rouge de Guerlain(2013年)」
- Perfume Shrine「Guerlain Chamade (1969)」
- Bois de Jasmin「Guerlain Nahema perfume review」
- Perfume Shrine「Guerlain Jardins de Bagatelle (1983)」
- Bois de Jasmin「Guerlain Samsara new and vintage perfume review」
- Now Smell This「Guerlain Samsara perfume review」
- Perfume Shrine「The history of the Guerlinade accord」
- The Week「Thierry Wasser: an interview with Guerlain's master of scent(2020年)」























