なぜ「食べられそうな甘い香水(グルマン)」に人は惹かれるのか?綿菓子・紅茶・お酒の香りの歴史
香水なのに、なぜかお腹がすく。キャラメル、プラリネ、バニラ、コーヒー。こうした「食べられそうな香り」の香水はグルマンと呼ばれ、いまでは香水売り場の定番です。でも、甘いお菓子の香りを香水にするという発想が大きく花開いたのは、比較的最近のこと。その転機は1992年の1本でした。
2026.10.23 · 5分で読めます

グルマン香水とは?「美食家」の名を持つ食べられそうな香り
グルマン(gourmand)はフランス語で「食いしん坊」「美食家」のこと。香水では、はちみつ、チョコレート、バニラ、キャンディなど、食べものを思わせるノートを中心にした香りを指します。多くは合成香料でつくられた「食べられる香り」のノートです。
ただし、グルマン香水はお菓子の香りだけでできているわけではありません。甘いトップやミドルの下に、パチョリやムスク、トンカビーンのような「食べものではない」ベースを組み合わせるのが典型的な形です。この土台があるから、香水として肌の上で長く、深みをもって香ります。
グルマンの考え方そのものは新しくありません。バニラの香りの成分バニリンは、1858年にテオドール・ゴブレーがバニラから取り出し、1874年にはフェルディナント・ティーマンとヴィルヘルム・ハーマンが構造を突きとめて合成法を開きました。1889年のゲラン「ジッキー」にもバニラが香ります(近代香水の歴史)。それでも、食べものの香りを主役に据えた「現代のグルマン」が始まったのは、1992年だとされています。
1992年『エンジェル』とエチルマルトール:綿菓子の分子が開いた扉
1992年、ティエリー・ミュグレー(現ミュグレー)が発表したエンジェル。調香はオリヴィエ・クレスプとイヴ・ド・シリンで、トップにベルガモット、ハートにプラリネ、ベースにパチョリ、さらに赤いベリーとバニラ。不規則な星の形のボトルに入ったこの香水は、最初の現代的なグルマン香水と呼ばれています。
エンジェルの甘さを語るときに欠かせないのが、エチルマルトールという分子です。においは「カラメル化した砂糖」や「カラメル化した果物」にたとえられ、甘い、キャラメルのよう、ジャムのよう、いちご、綿菓子、ベリー、と表現されます。お菓子の香料として広く使われてきた分子で、似た香料マルトールのメチル基をエチル基に置きかえた構造をしています。Wikipedia 英語版のエチルマルトールの項では、1992年のエンジェルで初めて使われたと説明されています。
エンジェルは大きな成功をおさめました。2011年時点で米国の歴代売上5位の香水とされ、フランスではシャネル N°5を抜いて最も売れる香水になったこともあります。
甘い香水の年表
1858
ゴブレーがバニラからバニリンを取り出す
1874
ティーマンとハーマンがバニリンの構造を突きとめ、合成への道を開く
1889
ゲランのジッキー。バニラが香る初期の近代香水
1992
ミュグレーのエンジェル。最初の現代的なグルマン
なぜ甘い香りに惹かれる?香りの「甘さ」は舌の記憶から生まれる
考えてみると不思議なことがあります。「甘い」は本来、舌で感じる味です。それなのに私たちは、バニラやキャラメルの香りを嗅いだだけで「甘い匂い」と言います。
この謎に取り組んだのが、オーストラリアの心理学者リチャード・スティーブンソンらの研究です。1998年の実験では、ある香りを砂糖水に混ぜて、別の香りを水に混ぜて、参加者に何度も口にしてもらいました。すると、砂糖水と一緒に味わった香りは、あとで嗅いだときにより甘く感じられるようになりました。しかも参加者がその組み合わせに気づいていたかどうかに関係なく起きていました。研究者たちはこれを、無意識の連合学習による「学習された共感覚」と呼んでいます。
1999年の研究では、20種類の香りについて「嗅いだときの甘さ」を評価してもらい、その香りを砂糖水に加えて味わってもらいました。もっとも甘い匂いと評価されたキャラメルの香りは、砂糖水の甘さを強め、クエン酸の酸っぱさを弱めました。香りの甘さは、それまでに一緒に味わってきた経験から説明できる、というのが研究者たちの結論です。
ここからいえるのは、「甘い匂い」は生まれつき決まっているというより、食べてきた記憶とともに育つ感覚だということ。グルマン香水に惹かれる理由をすべて説明するものではありませんが、お菓子の香りにほっとするのは、甘いものを口にしてきた経験が香りに重なっているからかもしれません(ここは研究から考えた推測です)。
研究からわかること
- 香りの「甘さ」は、甘い味と一緒に経験することで強まる(1998年の実験)
- もっとも甘い匂いとされたキャラメルは、味わったときの甘さも強めた(1999年)
- グルマンの心地よさは、食べてきた記憶と結びついている可能性がある(推測)
バニラ・キャラメルから抹茶・紅茶・ラム・ウイスキーへ
エンジェル以降、グルマンはお菓子の外へ広がっていきました。いまでは、コーヒー、お茶、お酒といった「大人の食卓」の香りも、この系統の一部です。Wikipedia 英語版のグルマンの項によれば、ロブスターやピザのような奇抜なノートに挑む調香師さえいるそうです。
グルマンの広がり
お酒の香りは、甘さに少し苦みと木の気配を足してくれます。メゾン マルジェラのレプリカ ジャズ クラブはラムとタバコ、ジョー マローン ロンドンのバニラ スコッチ コロンはバニラとウイスキー、キリアンのエンジェルズ シェアはコニャックとトンカビーン。
お茶のグルマンは、甘すぎない香りを探す人にも向いています。レプリカ マッチャ メディテーションは抹茶にチョコレートを重ねた香り。紅茶や抹茶の香水の選び方は紅茶(ティー)の香水ガイドに、甘い香りをほかの系統と重ねるコツはレイヤリング相性チェッカーにまとめています。
お酒とお茶のグルマン
バニラそのものについては、2001年の時点で世界のバニリン需要1万2,000トンのうち天然由来は1,800トンほど、つまり8割以上が合成でまかなわれていました。天然バニラの来歴はマダガスカルのバニラで、桜餅と同じ香り成分クマリンの話は桜餅とクマリンで読めます。
まとめ
- グルマンは「美食家」。食べものを思わせるノートを中心にした香水
- 1992年のエンジェルが最初の現代的なグルマンとされる
- エチルマルトールはカラメルや綿菓子にたとえられる甘い分子
- いまはコーヒー・お酒・抹茶・紅茶までグルマンの仲間
この記事に出てくる
香りを試す
出典(8)
- Wikipedia(英語版)「Gourmand (fragrance)」
- Wikipedia(英語版)「Angel (perfume)」
- Wikipedia(英語版)「Ethyl maltol」
- Wikipedia(英語版)「Vanillin」
- Wikipedia(英語版)「Vanilla」
- Wikipedia(英語版)「Jicky」
- Macquarie University「Changes in Odor Sweetness Resulting from Implicit Learning of a Simultaneous Odor-Sweetness Association(Stevenson, Boakes & Prescott, Learning and Motivation 29(2), 1998)」
- Macquarie University「Confusing tastes and smells: how odours can influence the perception of sweet and sour tastes(Stevenson, Prescott & Boakes, Chemical Senses 24(6), 1999)」








