トンカ豆とクマリン 甘い香りの「種」の話
黒くて、しわしわで、小さな豆。手に取って鼻を近づけると、バニラにも似た甘い香りがふわりと立ちのぼります。トンカ豆は、香水の世界でいま人気の素材のひとつ。そしてその香りの主役クマリンは、実は日本人にもなじみのある香りでもあります。
2026.10.22 · 5分で読めます

クマルの木と黒い豆
トンカ豆は、マメ科の樹木ディプテリクス・オドラタ(*Dipteryx odorata*)の種子です。この木は現地でクマルとも呼ばれ、南米の北部が原産。高さ25〜30mにもなり、幹の太さは最大で1mほどに育ちます。なかには樹齢およそ1,400年と推定された木もあるといいます。
「トンカ」という名前は、南米の先住民の言語のひとつ、カリブ系のガリビ語に由来するとされます。いまトンカ豆の主な産地はベネズエラで、ブラジルやコロンビアがそれに続きます。
収穫のしかたは素朴です。6〜7月ごろに新鮮な実を摘み取るほか、1〜3月には木から落ちたさやを拾い集めます。取り出した豆は2〜3日かけて乾かします。1本の木から得られる豆は、1年に1.0〜3.5kgほど。乾いた豆は黒く、表面には細かなしわが寄っています。
トンカ豆のおもな産地
- ベネズエラ いちばんの産地
- コロンビア 産地のひとつ
- ブラジル 産地のひとつ
香りの正体、クマリン
トンカ豆の甘い香りのもとは、クマリンという成分です。種子にはふつう1〜3%、まれに10%ほども含まれています。クマリンは無色の結晶で、バニラを思わせる甘い香りと、苦い味を持っています。名前そのものが、クマルの木に由来しています。
クマリンが初めて取り出されたのは1820年のこと。ドイツのフォーゲルがトンカ豆から分離しましたが、彼はそれを安息香酸だと思い込んでいました。同じ年、フランスのギブールも独自にこの物質を取り出し、「クマリン(coumarine)」と名づけます。1835年になって、薬剤師のギユメットが、ふたりの取り出したものが同じ物質であることを確かめました。
その後、19世紀後半に英国の化学者ウィリアム・ヘンリー・パーキンがクマリンの合成に成功します。天然の豆に頼らずに、この甘い香りをつくれるようになったのです。この合成が、香水の歴史を大きく動かすことになります。
クマリンの年表
1820
フォーゲルとギブールが、それぞれトンカ豆からクマリンを取り出す
1835
ギユメットが、ふたりの物質が同じものだと確かめる
19世紀後半
パーキンがクマリンを合成する
1882
ウビガンのフジェール・ロワイヤル。合成クマリンを使った香水
1889
ゲランのジッキー誕生
1954
米国でクマリンの食品添加物としての使用が禁止される
桜餅の香りと同じ
クマリンはトンカ豆だけのものではありません。桜の葉、シナモン、ラベンダー、クルマバソウ(スイートウッドラフ)など、さまざまな植物に含まれています。シナモンのなかでも、カシアにはセイロンシナモンよりずっと多くのクマリンが含まれています。
日本人にとっていちばん身近なのは、桜餅の香りでしょう。オオシマザクラの葉を塩漬けにすると、葉のなかでクマリンが生まれ、あの懐かしい香りが立ちます。桜湯の香りも同じです。手を加えることで香りが生まれるところは、何年も寝かせてはじめて香るアイリスの根にも少し似ています。
トンカ豆を香水のノートで見かけたら、桜餅を思い出してみてください。香りのなかに、ふと日本の春が重なるかもしれません。桜のノートを持つ香水と比べてみるのも楽しい試みです。
ちょっと意外な使われ方もあります。クマリンはブラックライトを当てると黄緑色に光る性質があるため、日本では1990年3月から、脱税防止の識別剤として灯油などに1ppmの濃度で加えられています。英国でも1984年から、灯油に2ppmの濃度で加えられています。
フゼアという系統の誕生
香水の歴史で、クマリンが果たした役割はとても大きなものです。1882年、ウビガンの調香師ポール・パルケが発表したフジェール・ロワイヤルは、合成したクマリンを使った香水でした。ラベンダー、オークモス、クマリンを組み合わせたその香りは、ひとつの系統の名前になります。フランス語で「シダ」を意味するフゼア(フジェール)です。
作家のモーパッサンもこの香りを称えたといわれます。フジェール・ロワイヤルは1950年代にいったん製造を終えましたが、2010年に復刻されました。いまでも男性用香水の多くが、このフゼアの流れをくんでいます。
1889年には、ゲランのエメ・ゲランがジッキーを発表しました。ジッキーは、いまも作り続けられている香水のなかで、世界でもっとも古いものとされています。合成香料が香水の新しい時代を開いていったころの空気を、いまも感じられる一本です。
いまのトンカの楽しみ方
クマリンは、米国では1954年から食品添加物として禁止されています。一方で、フランスではトンカ豆をデザートの香りづけに使うこともあります。香水では、トンカ豆そのものの香料と、合成のクマリンの両方が使われています。
名前にトンカを掲げた香水はたくさんあり、組み合わせる素材によって表情はさまざまです。バニラを思わせる甘さが、ウッディな香りやスパイスとどう重なるのか。何本か並べて、肌の上で比べてみるのもおすすめです。
トンカを名前に掲げる香水
まとめ
- トンカ豆は南米北部原産のクマルの木の種子。主な産地はベネズエラ
- 香りの主役はクマリン。1820年にトンカ豆から取り出された
- 桜餅の香りもクマリン。塩漬けにした葉のなかで生まれる
- 1882年のフジェール・ロワイヤルから「フゼア」の系統が始まった









