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Column · 素材の話

アンバーグリス(龍涎香) 海を漂う、クジラの贈りもの

海岸に流れ着いた灰色の塊が、高値で取引される。そんな話を聞いたことがあるかもしれません。それがアンバーグリス(龍涎香)です。クジラの体内で生まれ、海に長く揉まれて香りが育つ、ほかに例のない香料です。

2026.10.22 · 4分で読めます

マッコウクジラの体の中で

アンバーグリスは、マッコウクジラの消化管でつくられる、ろうのような固い物質です。塊の中からダイオウイカのくちばしが見つかることから、イカの硬いくちばしなどから腸を守るためにつくられるのではないかと考えられています。

名前は古いフランス語の ambre gris(灰色の琥珀)から。日本では「龍涎香(りゅうぜんこう)」、つまり龍のよだれの香りと呼ばれてきました。

海が香りを育てる

クジラから出たばかりのアンバーグリスは、白っぽく柔らかく、強い糞便のにおいがします。それが海を漂ううちに、何か月も何年もかけて日光と酸素にさらされ、黒っぽく固くなり、甘く、土っぽく、海を思わせる、動物的な独特の香りに変わっていきます。

アンバーグリスができるまで

  1. 01つくられるマッコウクジラの腸の中でできる
  2. 02放たれるクジラの体外へ出て海に浮かぶ
  3. 03漂う何か月〜何年も日光と酸素にさらされる
  4. 04熟す固く、黒っぽくなり、甘い香りに変わる

熟したアンバーグリスは水より軽く(比重0.780〜0.926)、海に浮かんで漂い、やがて海岸に流れ着きます。見つかる場所は大西洋、南アフリカ、ブラジル、マダガスカル、モルディブ、日本、オーストラリア、ニュージーランドなど、世界の海に広がっています。

商業的に集められるアンバーグリスの多くは、大西洋のバハマ、とくにニュープロビデンス島周辺のものです。2021年にはイエメン沖で、漁師たちが127kgもの塊を見つけ、150万ドルの値がついたと報じられました。175万年前の化石化したアンバーグリスも見つかっています。

アンバーグリスをつくるのはマッコウクジラだけで、それも推定でおよそ1%の個体にすぎないといわれます。クジラから出たあと何年も海を漂って、ようやく岸にたどり着くことも。見つかるかどうかは、本当に運しだいです。

アンブレインからアンブロキサンへ

1946年、レオポルト・ルジチカとフェルナン・ラルドンが、アンバーグリスの主成分アンブレインを見つけました。アンブレインそのものはほとんど香りません。それが酸化されて生まれるアンブロキサイドやアンブリノールが、アンバーグリスらしい香りの正体です。

アンバーグリスは、香りを長く肌に残す「保留剤」として調香師に重宝されてきました。いまでは、その役目の多くは合成のアンブロキサン(アンブロキサイド)が引き継いでいます。香水の「アンバーグリス」のノートも、多くはこうした合成香料でつくられています。

アンブロキサイドは、クラリセージの精油に含まれるスクラレオールを原料に合成されてきました。近年は別の原料(ホモファルネソール)から合成する方法も開発され、必要な農地が従来の100分の1で済むとされています。肌や布に何時間も残る持続力が、保留剤として重宝される理由です。

なお、香水で「アンバー」と書かれているノートの多くは、バニラや樹脂を組み合わせた温かい香りのことで、アンバーグリスとは別ものです。名前が似ているので、ノートを読むときは少し気をつけてみてください。

クジラを守るためのルール

クジラの数が減っていることがわかり、国際捕鯨委員会は1982年に商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)を決めました。アンバーグリスの扱いは国によって異なります。

アンバーグリスはクジラを捕らずに得られる排出物なので、ワシントン条約(CITES)の規制対象にはなっていません。それでも、クジラを守る流れの中で、取引を独自に禁じている国があります。

国ごとの扱い(例)

国ごとの扱い(例)
国扱い
アメリカ1973年の絶滅危惧種法で所持・取引を禁止
オーストラリア商業目的の輸出入を禁止
インド1972年の野生生物保護法で売買・所持が違法
イギリス・フランス・スイス・モルディブ取引は合法

19世紀には、画家ジョン・シンガー・サージェントがアンバーグリスを焚く女性を描いた《龍涎香の煙(Fumée d'Ambre Gris)》(1880年)も生まれました。海からの贈りものは、長く人の想像をかき立ててきた香りでもあります。

アンバーグリスは、香料だけでなく食べものや薬にもなってきました。古代エジプトでは香として焚かれ、中世ヨーロッパでは頭痛やかぜの薬に。黒死病の時代には、アンバーグリスの玉を持ち歩けば病気を防げると信じられました。イングランド王チャールズ2世の好物は卵とアンバーグリスの料理だったと伝えられ、18世紀のヨーロッパではトルコ式コーヒーやホットチョコレートの香りづけにも使われています。ニュージーランドのマオリの人々は、浜に流れ着いたものを「ミーミハ」と呼び、ガムのように噛んでいたといいます。

アンバーグリスを名前に掲げる香水

まとめ

  • アンバーグリスはマッコウクジラの消化管でつくられる
  • 海を漂ううちに、糞便臭から甘く土っぽい香りへ変わる
  • 香りの正体はアンブレインが酸化してできるアンブロキサイドなど
  • いまは合成のアンブロキサンが主役。国によっては取引が違法
出典(2)
確認日 2026.10.22。年代や数字には諸説あるものもあります。